【英語】日本の教育による「英語力」
Twitterのタイムラインを眺めていたら、こんなツイートを目にしたので、ちょっと日本の公教育で求められる「英語力」というものに思いを巡らせてしまいました。
英語教師になるには?
僕は大学で教職課程というものを取らなかったので実体験がありませんが、英語教師になるには文部科学省の指定する四年制大学や短期大学、大学院などで教職課程を経て特定の学科を卒業することが求められています。
もちろん、免許資格を得た先に採用試験があるわけなので、教職課程を経て指定教育機関における指定学科を卒業して免許資格を得たからといって「教師」になれるかどうかは別問題ですが。
ただ、それ以上に求められる要件ってないんですね、初めて知りました。
英語教師の英語力
「英語力」自体は、普通の中学生とかからすれば、もう先生はみんな「すごいできる」わけです。先生の「英語力」なんて関係ありません。「英語力」よりも「教える力」が重視されていたはずですし、教え方の上手な先生ほど人気があったはず。だからこその教職課程なのでしょう。
しかしながら、今や日本の公立中学校にも外国人の生徒が普通にいておかしくないくらいになってきています。公立高校はどうなんでしょう、受け入れしていないと日本語の試験問題が解けるレベルの日本語力を有した生徒しかいなさそうですね。僕自身は外国人の生徒はおろか、帰国子女の子供とも同窓になったことはありませんでしたが。
さらに、英語の授業は英語で行うという公立学校も増えてきている中、英語教師に求められる「英語力」は昔よりも遥かに上がっているんじゃないかというのが僕の推測です。
こんな機会でもなければ調べてみようと思うこともありませんでしたが、どんなもんなのかなとググってみました。
英語教育実施状況調査に見る英語教師の「英語力」
このウェブサイトによると、文部科学省が「令和元年度英語教育実施状況調査」なるものを実施して結果を公表しているようです。中学生や高校生の英語力を調査すること(政策目標の達成状況を調査すること)が主目的のようですが、先生側についても調査対象になっていますので、この調査概要を眺めていきます。
英語の授業で発話の50%以上を英語で行っている学校が8割近いんですね。僕の時代、教科書を読み上げる以外の場面で、英語で発話することなんてあったかな?
そして、この調査から窺える公立学校の英語教師に求められる「英語力」ですが、文部科学省としては英語教師の50%以上がCEFR B2(英検準1級相当)以上のスコアなり資格なりを取得している状態を目標としているとのことです。現実としては、まだまだ目標には到達していないようですが。
※ CEFRについては後述します。
ただ、この結果には純粋に驚きました。英語の先生って英検とか受けてないの?って。生徒には受けさせるくせに。。。
受けていないだけだと信じたい。僕が学んだ先生が取得していたのかどうかは知りませんが、まさか先生が英検準1級に受からないなんてことはないと信じたい。公務員なのに国の指針にあるスコアなり資格なり取得する動きが鈍いというのは、どうなんだと思いますけどね。
しかし、これはなあ。息子(中学2年生)に嘘をついたことになりかねません。僕は息子が英検準1級に合格した際に「中学生で合格したのは素晴らしいけど、英語の先生ならみんな合格するものだし、1級だって取れるだろうから、学校とか授業とかで驕るようなことはないように」と注意したというのに。。
※ 息子は小学生時代を丸々日本国外(ただし英語圏ではない)で過ごしています。
「英語力」って何だろう?
スコアや資格は単純に他と比較する際の指標としては使いやすいものですが、もちろん、それで「英語力」の全てが表せるわけではありません。
ツイート主がこういうスコアで測った場合にどれくらいのスコアになる方なのか分かりませんが、英語教師に求められる指針の一つとされている英検準1級程度のスコアがあれば、日常会話程度で英語力の差をそれほど痛感することってない気もするんですけどね。少なくとも英検準1級のスコアも取れない僕でも、そんなに困っていません。
ただ、やっぱり英語で発言する、英語で議論するなどの経験が日本の教育では圧倒的に足りないんだろうなという気はします。このあたりが、スコアには現れない差を痛感させる場面は多いです。
僕は東南アジアで英語を母国語としない人たちとお互いに英語で仕事をしているので、余計にそんなことを感じてしまいます。結局「英語力」って「英語(でコミュニケーションする)力」なんだろうなと。日常会話なら当たり障りないし困る場面もそうそうないでしょうけど、議論などの際に、キチンとタイミング良く自分の意見を表明できるのかどうかの差ですね。
なお、僕は日本の公教育における英語教育には、足りない部分はあるのは事実だと思うものの、賛同寄りの考えを持っています。僕自身、日本の公教育でしか英語の教育は受けていませんが、語彙やら文法やら叩き込まれたことは、確かなバックボーンとして残りますし、それがあるからこそ、実践の場に放り込まれればキャッチアップもできると思っています。
実際、僕は、ほぼ英語でコミュニケーションした経験がない状態で海外に赴任して拠点の立ち上げやら契約交渉やらすることになったわけですが、通訳を使うことは会社の方針で許されていなかったこともあり、話して聞けなきゃどうしようもない環境に置かれました。その時に支えになったのが日本の公教育で受けた英語教育だったのは間違いありません。
また、仕事を通して、はちゃめちゃな文法で送られてくるメールや文書を見ていると、読み書き偏重とはいえ、日本の英語教育って素晴らしいとも思います。足りない部分ははっきりしているわけで、話して聞くなんてのは単純に英語で行う時間を増やせばいいだけだと思うんですけどね。一時期「ゆとり教育」とか言ってましたけど、英語教育に限られない教育全体の問題じゃないかと思います。
おまけ:CEFRとは?
生徒に求められる水準として文部科学省が指針にしているのが「CEFR」という指標。よくわからないので、こちらもググってみると、CEFR A1(中学生の英語力の指針)が一番下のランクで英検3級相当、CEFR A2(高校生の英語力の指針)というのが英検準2級相当のようです。
僕の頃も「中学生在籍中に英検3級」とかいう目標があって全校生徒が受験させられた記憶がありますが、これ自体はあんまり変わってないんですね。また、大学合格には英検2級程度は、と言われた記憶もあります。こちらは受験させられるようなことはありませんでしたし、今に至るまで受験したこともありませんが(息子のやっていた模擬問題見ただけで、これは僕では合格できないなと早々に見切りをつけました)。