可能性を拡げて欲しい- 子供と読書 - どこかでベートーヴェン
今年もまた「新潮文庫 中高生のためのワタシの一行大賞」の応募が始まりました。締め切りは2020年9月30日です。
もちろん、僕は応募対象外ですし、息子にも応募しろと言うつもりはないのですが、応募期間にかかわらず、毎月「ワタシの一行」を選んで、なぜその一行を選んだのかの作文を書かせることにしています。応募を目的としていないので、対象本の範囲は限定していません。
先月から、僕も息子が読んだ本の中から「ワタシの一行」を選んで、同じように作文を書いて息子に提出することになりました。
今月はこの本から。
選んだ一行
選択する勇気、諦める勇気が結局は可能性を拡げるんだ(No.3398 / 4578付近)
なぜ?
小説家になりたいと思ったことがある。じゃあ、それを選択して、なるための努力をしたかと言えばしなかった。だから、可能性はゼロのままで拡がったことなんてない。水泳選手になりたかったわけではない。それでも、その当時の目標に向けて努力はしたし、練習もした。限界は見えていたので、大学に入って、小学生から続けた選手としての水泳はすっぱり諦めて、別のことに時間と労力を向けた。
仕事でも同じ。営業職もやったしデータ分析やら執筆の仕事もした。その時々でやらなければいけないことを、最大限の成果を出すべく努力はした。勤めている会社が倒産したことは、不謹慎を承知で言えば「運が良かった」と言えるかもしれない。これまでに諦めながら選択してきたことの積み重ねが役割をくれた。結果として、可能性を拡げてきたことが奏功したわけで、あらためて初心を思い起こさせてくれる一文だった。
本書は、中山七里さんの数多い著作の中でも人気のある「岬洋介シリーズ」の4冊目です。シリーズ通して読んでいる方が楽しめるのは間違いないですが、今作はシリーズの中でも前日談的な位置づけなので、単独でも大丈夫かなと(冒頭だけ、3冊目の最後を踏まえてますが)。
主人公の岬洋介は天才的なピアニストで頭脳明晰な完璧超人。シリーズ通して岬の明晰な頭脳によって事件解決がなされるミステリですが、ピアノの美しい描写が特徴的で、どうしたって岬の弾くピアノが聴きたくてたまらなくなります。
今作は、検事である父親の転勤(左遷)にかこつけて音楽科のある高校に転校してきた岬が初めて解決した事件を、当時のクラスメイトが思い出している、という設定。ミステリとしてよりも、圧倒的な才能を前に妬みの感情などを感じつつ、それを自分の中で消化して一回り大きくなっていく高校生というテーマが僕好みの一冊でもあります。
選んだ一行は、岬の才能を妬み捻くれている高校生たち(音楽科のクラスメイトたち)に、教師である棚橋先生が語った言葉の一部です。実は、選んだ一行につながる丸ごとの言葉がよくて、子供に読ませようと思った理由でもあります。 短絡的に読むと、絵とか小説、スポーツ、科学、料理、営業などの何かしらの「結果」が見える世界で、自分が闘える場所を探せという感じに捉えられてしまい、子供には大きすぎるし途方もない話になってしまうかもしれませんが。。。
仕事で考えてみれば、残念ながら僕には営業の神様が微笑んでくれたことなんてありません。営業に限らず、神様が微笑んでくれたと思えたことなんてないし、微笑んでくれる兆しが感じられる分野に出合えたことがあるとも思えません。それでも、勤め人としては、他人から見ればそれなりの地位にまで昇進しちゃっています(一応、肩書きは「社長」なんです)。
なぜなのか? それはいろいろなことに取り組んで、選択して諦めた結果に残った複数分野の掛け算が成り立つようになったからだと思ってます。
何千人もいる組織を辞めて、百人もいない組織に転職したのだって、その過程のひとつになったでしょうし、それぞれの分野で一度は極めてみるつもりで努力してみた上で、諦めてというか、自分の限界を見極めてというか、次の分野に手を伸ばすということをやってきました。
最近、ちょっと「壁」というか、やや停滞感があるなぁという感じもしますが、いい歳ですからね。仕事に関連しない分野で「正しい努力」をしてみないといけません。
努力をしても神様が微笑んでくれる保証はありません。ただ、努力をしないところに神様が微笑んでくれることもありません。それを「運」と言ってしまえばそれまでだけど、「運」に巡り合うために、選択して、諦めて、「正しい努力」を続けていきたいと思いますし、息子にも、そんな「正しい努力」のできる分野を探し続けて欲しいと伝えていきたいですね。 まあ、息子は「面白くなかった」と言っていましたけど(涙)、確かに子供向けの本でも「一行」でもないですかね。。