知磨き倶楽部

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【カンボジア】【ベトナム】国境画定協議に進展

日本で暮らしていると意識することがほとんどないものの一つが「国境」の概念じゃないでしょうか(領土問題はありますけどね)。大陸に渡ると、国境が未だ画定してない場所がある、ということに新鮮な驚きを感じてしまったりします。

 

今日はカンボジアベトナムの間での国境画定に関する協議のニュースを読んでいきます。両方の国で発行されている媒体を見比べたかったのですが、普段僕が見ているニュースサイトではベトナム側での情報が見つからず。

www.khmertimeskh.com

 

 

英単語メモ

demarcation

可算名詞の場合:境界、分界

不可算名詞の場合:境界決定、区分

a border or line that separates two things, such as types of work, groups of people or areas of land

OALDでは可算と不可算で明確に意味分けをしていないです。

predictable

予言できる、何一つ新しいことをするでもない、意外性のない

If sth is precictable, you know in advance that it will happen or what it will be like

behaving or happening in a way that you would expect and therefore boring

 

カンボジアベトナム間の国境

元記事によると、今回両国間で法的に有効な書類が取り交わされたことで、両国間の国境1,270kmのうち、84パーセントの国境画定が終了したようです。

陸上における国境画定は、既にそこで生活している人たちがいるため、なかなかに難しい問題です。そういう「現状」を無視して国境を引いたのが植民地支配や戦後処理で、今なお世界の各地で問題を引きずっていますね。本件についても、2005年に取り掛かってから、既に16年が経過している模様。

“In some places where the border on the map between the two countries is supposed to be, sometimes it is in Vietnam, and sometimes it is in Cambodia. As a result, we sometimes need to negotiate with Vietnam’s border experts to ask Vietnamese villagers to move to live on land in Vietnam’s territory,” added Pisey.

これはカンボジア側の記事からの引用なのですが、まるでベトナム側だけが調整すればいいかのような言い方が気になります。逆のケースだってあるんじゃないかと思うんですけどが。。。

なお、カンボジア国内の政治問題として、当時の野党党首が「カンボジア領内に侵食する形で国境が画定されている」と主張して国境杭を勝手に引き抜き、実刑判決が下されたりしていますので、カンボジアの媒体ではセンシティブに捉えられて可能性はあります。

 

カンボジアベトナム間の歴史

先日、パリ和平協定締結30周年を迎えました。歴史のお勉強ではこのパリ和平協定を「カンボジア内戦終結するための協定」と習うはずです(日本の外務省の公式声明でも、この表現が使われます)。そういえば、これ、僕が義務教育を受けていた時期には存在しなかった協定なんだなぁと思うと、ものすごく最近のことに思えます。

僕自身を含め、多くの日本人には上記以上の認識はないだろうと思いますが、なぜここで取り上げるかというと、このカンボジアで内戦状態にあったとされるカンボジア国内の4派のうちの1派が実質的にベトナム傀儡政府だったということがあります。紐解いていくと、ベトナム戦争中のカンボジアベトナム北ベトナム)の関係や、クメール・ルージュ以降のカンボジアベトナムの関係(ベトナムによる侵攻と占領)などにまで遡っていかないといけないのですが、非常に込み入った関係になっています。ここでは、ベトナムはかなり最近までカンボジアベトナム軍を駐留させ、占領状態に置いていたという点のみ取り出しておきます。

 

ちなみに、ベトナムカンボジアに侵攻していた当時はソ連の支援の下にありました。そもそもカンボジアへの侵攻によるベトナムは国際社会からの強い批判にさらされていたのですが、ご存知のとおり、1989年にはソ連が崩壊したこともあり、後ろ盾を失ったベトナムは急速にカンボジアから手を引き、1989年には完全に撤退しています(カンボジアの反ベトナム派は、その後もベトナム軍がカンボジア内で行動していると主張していましたが)。

 

つまり、割と最近までベトナムカンボジアは紛争状態にあったわけです。それ以前の歴史でも、現在のベトナムの商業の中心であるホーチミンシティや代表的な観光地の一つであるフーコック島カンボジア領であったところをベトナムに奪われたという主張がありますし、紛争中にはクメール・ルージュによるベトナムカンボジア人を含むベトナム人に対する迫害(虐殺)があり、根深い対立感情があるであろうことは想像に難くありません。外国人にある僕に対して、ベトナム人カンボジア人もそういう感情を吐き出すことはないですけどね。

ただ、こうした歴史を踏まえると、残り16パーセントの国境画定作業も一筋縄ではいかないだろうなと思ってしまいます。

 

おまけ

今起こっているニュースを読み解くのに、歴史(特に現代史)の勉強ってまじで大事だなと思います。

最近読んだ本では、こちらの本の中でベトナム地政学的な分析がコンパクトにまとまっていました(ただし、対中国中心)。

この本を読んだ上で今回の記事のことを考えると、歴史的に中国の冊封体制に組み込まれていたベトナムは、仏領インドシナとして保護国化されていたカンボジアラオスに対して、同じような発想を持っているような気がします。

妻が買っていたり子供に読ませるために買い与えていたりしたままKindleの中で積読になっている以下の本たちも読もうという気になりました。